面積のおよそ80%が森林の下市町。森幸太郎さんは平成24年、この地に移住。奈良県と下市町の全面協力を得て「下市木工舎 市ichi」をスタートしました。研修生と共同生活を送りながら、吉野杉を用いた鉋仕上げの家具を製作しています。場所は町を見渡せる高台で、元水道局の建物を改修しました。
森さんは趣味のウインドサーフィンが縁でヨット製造の工房に働いたのち、木工技術の学べる奈良の高等技術専門学校へ入りました。卒業後は兵庫県三木市の徳永家具工房に弟子入し、そこで吉野杉に出合います。材質が柔らかな杉は家具作りには向かないといわれますが、森さんは、吉野杉の机が放つ端正な美しさに魅了されました。「杉でこんなに美しい家具ができるとは、と目からうろこでした。しかも、500年以上も前からこんな木を育てていたなんて」。森さんの心は吉野へと飛びます。「今はすぐ近くに吉野杉の森を感じながら仕事のできる幸せを感じています」。
3年半ほど腕を磨いた徳永家具工房でのもうひとつの出合いが鉋(かんな)仕上げという手法。「師匠が、よく切れる見事なカンナを作る鍛冶(かじ)職人と知り合い、この技術を残していきたいと、鉋の良さを活かした家具作りを始めたんです」。一般的なサンドぺーパー仕上げに比べ、鉋なら表面に傷をつけないので肌への当たりがよく、使うほどに艶が増すのが特徴。また鉋は流れるように削れるので形も美しく仕上がります。森さんはこの日本伝統の優れた木工道具にも心惹かれました。
「吉野杉と鉋という、日本が育んできた優れたものを使って、時代に合うものを発信したい。そうすることで、若い世代にも、日本にはこんなにいいものがあるんだと再認識してほしいと思っています」。
森さんが研修生を受け入れるのも、伝統の木工文化を残し、そして広めたい、という師匠由来の熱い思いを秘めてのこと。「一人でやっているだけではなかなか広まらないし、面白くないですから。それに、下市町も過疎化が進んでいますので、若い人に移り住んでもらうことで少しでも活性化につながればいいなと思います」。そして、その先は―。
「ここから独立した子が日本や世界各地で工房を持つ。そしてさらにそこから新たな子が独立していく。といった大きな広がりになってくれると嬉しいですね。」
下市町ではかつてたくさんの市が立ち賑わっていました。「『市』という名前には、この工房が市となって新しい物を発信し、人の集う場所になるように、という思いを込めました」
割り箸発祥の地といわれ、三宝製造も盛んな下市町。杉が暮らしに根付く町の人たちの温かなサポートが、森さんの挑戦を後押ししています。「周りの方に恵まれ居心地はとてもいいです。駅にも買い物をするところにも思いのほか近いですし(笑)」。
木工の町・下市町発の吉野杉の家具が、町の特産品として認知される日を、森さんは夢に描きます。
下市町に移り吉野杉で家具を製作
いつかは町の特産品に
昭和50年、京都府生まれ。一年間の海外生活中に体験した仕事がきっかけで、ものづくりを職業として意識する。帰国後、木造ヨットの製造会社、奈良県立高等技術専門校家具工芸科を経て、徳永家具工房に弟子入りし、鉋技術を学ぶ。工房立ち上げのため下市町に移住。趣味はウインドサーフィンやヨット、タップダンス。妻はタップダンサー。
下市町地域おこし協力隊員。