辻谷達雄さんは御年83歳。15歳で山に入って以来70年、山を知り尽くし、戦後の吉野林業の変遷を肌で感じてきました。「吉野林業は江戸中期から、樽丸に見合う木を育てることで発展してきました。今は樽丸に並ぶような新しいターゲットをどうするのかが大きな課題。若い人らには柔軟に考え積極的にチャレンジをしてほしい」、と吉野林業のこれからを語ります。身も心もまだまだ現役だった65歳で会社を息子に譲ったのも、次代へのスムーズな継承を願ってのこと。「山も人も同じ。循環すること、させることが大事ということでしょうね」。
吉野は造林発祥の地といわれ、その歴史は500年を超えます。明治時代からは樽丸産業が特に盛んとなり、「超密植」「多間伐」「長伐期(ちょうばっき)」という吉野独自の山造りが行われるようになりました。「1haで国有林なら3000本、一般的にも多くて5000本ですが、吉野では8000本から10,000本の苗木を植えます。間伐は7年から10年周期で、健全な木の育成を促進。伐採するのは80年から100年周期。こうすることで、杉は太陽の光を求めて垂直に大きく伸び、節がなく、年輪幅が一定で密、美しく丈夫な木に育ちます。そしてしっかりと乾燥させるので、お酒を注ぐと膨脹し漏れることはありません」。さらに、辻谷さんの暮らす川上村などでは、山守制度が林業を守ってきました。たとえば山造りが困難になった所有者が山を売って管理に当たる山守となり、労働者が山仕事を担うシステム。吉野では地域や時代ごとにさまざまな知恵と工夫で山を守ってきました。
仕事は引退した辻谷さんですが、吉野林業を後世へと伝えるべく、多忙な日々を送っています。「森と水の源流館」館長退職後、「源流塾」を発足。この塾では「匠の聚(むら)」を中心に、村内外の林業家や林業に興味を持つ20代から30代に、吉野林業の歴史、技術、心を伝授する活動をしています。「森の手入れなど林業講習を中心に、体験を通して学んでほしいと思っています。川上村で生まれ育ち、林業のお陰で生きて来た私の、村へのせめてもの恩返しです」。
平成29年までは「達ちゃんクラブ」を主宰。山や森の案内などいろいろなイベントで村と町とを結ぶのが辻谷さんのライフワークでした。「体力にちょっと自信がなくなって」、達ちゃんクラブはひとまず終了していますが、それでも「生涯現役」と、新しい試みとして語り部活動を構想中。「川上の昔話や魅力を言葉で伝えようと。また来たい、できれば住んでみたいと思ってくれる人や、林業の担い手が一人でも出てくれればうれしいですね。お陰様で口は達者で、みな、話が面白いと言うてくれますし(笑)」。
三之公地区の原生林の入り口には、辻谷さんらが建てた山の神様を祀る祠が。里人に恵みを与えてきた山と森への感謝を胸に、山の名人は、吉野林業を見つめ続けます。
吉野林業の技と心を後世へ
これからを見つめ続ける山の達人
昭和8年、川上村生まれ。15歳で山に入り、昭和51年、ヤマツ産業有限会社を設立。現・取締役会長。平成14年に開館した「森と水の源流館」館長を経て、現在、源流塾塾長。“自然とともに生きる力”を養うことを目的に、さまざまな体験プログラムを実施している。