金峯山寺は、7世紀後半に役行者(えんのぎょうじゃ)によって創建されました。本堂には厳しい顔をした3体の蔵王権現が鎮座しています。
役行者は、悪に満ちた末法の世を打ち払う強い仏の出現を祈るため、金峯山山上ヶ岳に一千日の修行に入りました。
強い祈りのもと、一千日目に岩倉を突き破って湧出してこられたのが3体の蔵王権現。その姿を山桜の木に刻み、山上(現大峯山寺)と山下(金峯山寺)にある蔵王堂に祀ったのが金峯山寺の始まりです。
「権現(ごんげん)とは、『権(仮り)の姿で現れる』という意味で、その厳しい形相は、悪い世に生きる人々を叱りつけてでも救うための仮りの姿であり、本来は優しい仏さまなのです」と語るのは、金峯山寺の管領・五條良知さん。吉野の大自然から生まれた蔵王権現は、仏が神の姿をして生まれてきたことから神仏習合の象徴であり、自然が神仏そのものであるという修験道の教えを表しています。
日本一ともいわれる吉野山の桜。役行者が蔵王権現の姿を山桜の木に彫ったことにより、桜が御神木といわれるようになりました。1300年前から御神木である桜の木を、蔵王権現の祀られている本堂から見える場所に、参拝にきた人びとが祈りと感謝を込めて植えるようになりました。苗木を売る人も現れ、長い年月をかけて、「一目千本」といわれる現在の姿になったのです。「吉野山の桜は、人びとの蔵王権現への “祈り”から生まれたのです」と五條さん。
「修験道とは『実に修して実に験(しる)しを得る』といい、自らの意志で山に入り、神仏の坐す森に身を投じ、心と身体で自然を感じることにより悟りを開くというものです。神仏である森の中に分け入り、修行を行うことで自然の聖なる『気』をいただく。それが修験道の基本です。」と五條さん。ご自身も毎年、大峯奥駈修行を行っています。
神仏と自分だけの世界に身を投じると、普段は気がつかない自然の営みを感じる事ができます。雨は森の葉や枝から幹を伝い、ゆっくりと土に戻り源流となっていきます。五條さんは「そんな姿を見ていると、自然とはなんて優しいんだろう、自分たちはこの自然によって守られているんだということを実感します」とも語られます。
古来より吉野の人びとの心には、木を生活の手段としてではなく、尊いものと考え、そこから必要な分を分けていただくという思いが息づいていました。「木一本を大切にできる人は、人も大事にできると思います。その営みから離れた生活をしていると、自分の力で生きていると錯覚を起こしてしまうのかもしれません。水道の蛇口をひねると飲める水が出てくるのは、人間の力だけではないということを考えてほしいのです。そのことに気づくことができたら、自分は自然によって生かされているということ、そして、生かされている自分を大事に思えるようになると思うのです」と、五條さんの言葉に力がこもります。自然は私たちに、普段は忘れている大切なことを教えてくれているのかもしれません。
自然にふれ”生きる”を学ぶ
昭和39年、京都府綾部市の山伏の家に生まれる。大学で天台学を学び、大峯山護持院の宿坊、東南院の役僧となる。平成8年大峯百日回峰行を行う。毎年大峯奥駈修行も行っている。平成27年金峯山寺管領に奉職。