下北山村には「前鬼(ぜんき)」という集落があります。その地名にある通り、ここにはかつて鬼が住んでいたと言われています。その子孫の1人が、現在もここで宿坊を開いている五鬼助義之さんです。「一般に鬼というと、恐ろしい存在、悪者というイメージがありますが、私はそうは思っていません。一説によると、鬼と書いて『かみ』と読むこともあるそうです」(五鬼助さん)。鬼とは、もともとは山の民。吉野の人にとって、山は信仰の対象です。その山に住んでいた鬼は、天上界と地上界を結ぶキューピッドの役目をしていたのではないかと、五鬼助さんは考えているそうです。「ですから、私は鬼の子孫であること、五鬼助という名前にも誇りを持っています」。
五鬼助さんの先祖は、前鬼・後鬼(ごき)という鬼の夫婦です。山で修行する役行者の姿を見て心動かされた2匹の鬼は、一緒に付いて修行するようになりました。やがて、夫婦の間には5人の子供が生まれます。するとある時、役行者が「お前たちはここまで修行したのだからもう鬼ではない。里におりて人間として生活しなさい」と、前鬼には「義覚(ぎかく)」、後鬼には「義賢(ぎけん)」という名前を授けたのです。そうして暮らし始めたのが、現在の下北山村前鬼という場所です。「この山で修行する人たちを守り、導きなさい」という役行者の教えに従い、5人の子供はそれぞれ宿坊を建て、修験者(しゅげんしゃ)のお世話をしたり、修行の仕方を教えるようになりました。今から約1300年前のことです。
5人の子供の名前は、五鬼熊(ごきくま)・五鬼童(ごきどう)・五鬼上(ごきじょう)・五鬼継(ごきつぐ)、そして五鬼助です。それぞれ行者坊・不動坊・中ノ坊・森本坊・小仲坊(おなかぼう)という宿坊を営み、代々受け継いできました。江戸時代には1軒あたり1300人もの信者を持っていたそうです。ところが、明治5年の修験道廃止令によって修験者が激減。4軒の宿坊は次々と前鬼を去り、残ったのは小仲坊だけになりました。五鬼助の61代目・義之さんが宿坊を継いだのは1977年。「私が大学生の時に父がなくなり、叔父と弟がつないでくれたおかげで小仲坊は途絶えさせずにすみました」と五鬼助さんは語ります。そして、大阪で暮らす五鬼助さんは、会社勤めをしながら週末に宿坊に通う生活を続けてきたのです。
定年後の現在も、週末になると前鬼へ戻り宿坊を続けている五鬼助さん。電気もガスも通っていないこの集落で、宿泊できるのは小仲坊1軒だけ。「うちがなくなると修験者が困る。なくすわけにはいかないんです」と、1300年以上たった今も役行者の教えを守り抜く、鬼の子孫としての思いをにじませます。今は登山者の宿泊所としても重宝されていて、何度もここを訪れる人も多いのだとか。「前鬼から釈迦ヶ岳へと続くこの山は、景色の美しさはもちろん、心洗われる素晴らしい山の氣で人を癒してくれるんです」。62代目となる息子も、宿坊を継ぐ意志を示しているとのこと。鬼の子孫によって、役行者の教えはこれからも脈々と受け継がれていくことでしょう。
鬼の子孫として
役行者(えんのぎょうじゃ)の教えを継ぐ。
1943年生まれ。下北山村前鬼で鬼の子孫・五鬼助の61代目として生まれる。京都の大学在学中に得度を受け僧侶に。1997年に小仲坊を継ぎ、平日は大阪で会社勤め、週末は前鬼へ行き宿坊を営む。2003年の定年退職後も大阪で暮らしながら宿坊に通う生活を続けている。