「500年続く吉野林業の歴史に身を置いて仕事ができることが、僕にとってとてもうれしいことです」と話すのは、黒滝村森林組合の梶谷哲也さん。梶谷さんは、東京都江戸川区出身。大学を卒業した1998年、憧れていた田舎暮らしをするため、たまたま手に取った就職情報誌で見つけた黒滝村森林組合の現場作業員に応募し採用され、迷わずIターン就職を決めました。「とにかく田舎で暮らすのが夢で、そのための選択肢のひとつに林業がありました」。
黒滝村は、吉野を代表する林業の村。「小さい頃から木の香りや手触りが好きで、木工製品でよく遊んでいました」と梶谷さん。
しかし移住した当初は、慣れない山仕事に体力がついていかず、先輩についていくのがやっとだったそう。「都会育ちで山を歩いたこともなかったので、体力的には大変でした。でも、水や空気のおいしさなど田舎の環境の良さに感動して、辞めたいと思ったことはなかったですね」。林業の基礎を必死で学ぶ充実した日々が続きました。
技術も身につき、仕事に慣れてきた頃、新築物件の減少により吉野杉の出荷額が低下したため、間伐した吉野杉が出荷されることなくその場に放置されていている現状を知りショックを受けます。また、国の政策で密植ができなくなっていることを知り、「このままでは吉野林業が衰退してしまう。100年前にこの木を植えた人たちの思いを無駄にしたくないと思い、間伐材を使って炭焼きをしたり、お箸を作ったり、いろいろなことを試しました」なんとか吉野材の魅力を発信しようと、暗中模索の日々が続きました。
2002年、林業の業界紙に、愛知県がチェンソーアートで町おこしをしているという記事を見て、「これだ!」と思い連絡をしてすぐに愛知県へ。 当時日本に入ったばかりのチェンソーアートは、丸太からチェンソーを使って作品を彫り出すのに、やわらかい杉は打ってつけということを知り、「これならもう一度杉に命を吹き込めて、吉野杉に興味を持ってもらえる」。以来、梶谷さんは時間を作ってはチェンソーアートの技術を習得するため愛知県へ。休み時間や週末になると、作品作りに没頭する日々が続きました。今では30㎝四方の大きさの丸太なら、30分程でかわいいクマなどに仕上げるまでになりました。林業を続ける傍ら、吉野杉のPRにと実演イベントや、吉野町にあるチェンソーアートスクールの立ち上げにも従事し、県内外の多くの人びとに吉野杉の魅力をアピールしています。
「木目が美しく丈夫な吉野杉は、海外からも高い評価を受けています。そこに目を向けて、高付加価値のあるブランドとして世界に発信していけたらと思っています」たとえば、吉野の杉で高級家具を制作してもらい、世界展開も考えているとのこと。「吉野林業の500年という歴史の中で、自分もその中の一人として歴史を受け継いでいけることが、僕の誇りであり、喜びでもあります」と話す梶谷さんの言葉からは、固い決意と誇りが感じらます。歴史のバトンは着実に若い世代に引き継がれようとしています。
吉野林業の未来をつくる
1974年生まれ、東京都江戸川区出身。大学生の頃から田舎暮らしに興味を持ち、卒業後は黒滝村森林組合にIターン就職。林業をする傍ら、チェンソーアートスクールの講師としても活躍中